黒人奴隷が白人に隠れて労働歌としてブルーズを作り上げた歴史。
金もないから楽器も買うことができない。しかし、声は出すことができるからと、街角でアカペラを歌うドゥーワップの歴史。
エレクトリックサウンドの発達によりロックンロールをはじめとした音楽の多様化が進んだ50年代~60年代。
時代の流れにより音楽は様々な形を私たちに見せてくれた。
1970年代初頭、ニューヨークではビートニク思想に影響を受けた詩人たちが集まり、アンダーグランドからの音楽活動が盛んとなる。
政治や社会には無関心であり、個人の解放や浄化といった人間の根源を追及し、そのためであれば貧困もいとわないというビートニク思想を持つミュージシャンからの発信である。そこにはドラッグ、セックス、禅などの方法を用い、性別を超えた世界や人間のマイノリティーを追及したアウトプットがスコアとなり、楽曲を彩った。思想と歌は前述にもあるとおり、時代の音とされるが、まさにこのアンダーグランドからの叫びは、ザ・ローリングストーンズに代表される肥大化したロックとは一線を画す、ニューヨーク固有の音となった。
ベルベットアンダーグランド、ストゥージズ、MC5、テレビジョン、パティ・スミス・・・。
ニューヨーク・パンクと括られるジャンルは実は広すぎて、激しいリズムの音楽性やポエトリーリーディングに代表されるような表現が目立つようだが、ビートニク思想をベースとしたならば、そのアウトプットはコマーシャリズムに相反するもの。つまり、「思想」の問題となる。
そこに目をつけたファッション・デザイナーがいた。
混沌としたニューヨーク。ライブハウスCBGBの中でその男は金のにおいを嗅ぎ分けた。
ロンドン出身のマルコム・マクラーレンはニューヨークに赴いた際、「ニューヨークの音」を目の当たりにしたのだ・・・。
帰英後、自ら所有していたブティック「Let It Rock」の店名を「SEX」に変更した。
その店はもともとフィフティーズ・ファッションのブティックだったが、店名変更とともにボンデージ・ファッションが店内に埋め尽くすようになる。
ロンドンの労働者階級の叫びは金になる・・・そんな目論見から過激なファッションを施し、セックス・ピストルズを作り上げて行った。過激な男、不満を持つ男、卑しい笑いをする男を作り上げろ!売れるためなら行き過ぎた演出が必要だ。話題性を重視し、イギリスの象徴である女王陛下の写真にピンを刺すのなんて朝飯前。いかにEMIから契約金をふんだくるか。そのためには音楽性よりもジェネレーション・ギャップを作り上げていく。挙句の果ては、演奏などはできるよりもできない方が良いという始末。パンクバンドというセックス・ピストルズの虚構を作り上げたプロデューサーである。
1980年にイギリスで公開され、その5年後日本で公開(字幕なし)、その10年後に宝島社から日本オリジナルジャケットでビデオ発売され、同年に正式公開された映画「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」はマルコム目線のピストルズである。
映画はマルコムが語り手となり、いかにセックス・ピストルズは作り上げられたバンドであるかという内容。
そこにはモンキービジネスで笑うものは演者ではなく、ブームを作り上げたプロデューサーであるといわんばかりの内容だ。
もちろん、バンドメンバー、特にヴォーカルのジョニー・ロットンはこの作品に対し異議を唱え、2001年に「ノー・フューチャー」という作品で正式なピストルズヒストリーを発表した。
しかし、ピストルズが輝いた1977年からたった2年の出来事について、どちらの作品が面白いかといったら、私は前者の「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」を推してしまう。
マルコム・マクラーレンという詐欺師がパンクムーブメントを作り上げたということが重要という気がするのだ。
そもそもビートニック思想の「ニューヨークの音」は、DIY(Do It Yourself)と表現され、「パンク」などという言葉ではなかった。「パンク」はマルコム・マクラーレンがでっちあげた事で、そもそもすべてにおいてポンコツで、その事象を示したものである。それがロングヘアーにロンドンブーツという前時代のロックを完全否定し、散切りヘアスタイルや安全ピン、剃刀といったファッションも合わせてロンドンで大ブームになった。そのルーツを辿るとニューヨークということになり、「ニューヨーク・パンク」などという言葉をマスコミが使い始めたに過ぎないのだ。
ピストルズ脱退時のジョニー・ロットンの言葉がそれを裏付ける。
「自分は思想的アナーキーではなく、音楽的アナーキーであった」と。
しかし、事実関係はどうであれ、「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」でのマルコム・マクラーレンの悪徳マネージャーぶりは腹を抱えて笑うことができる。メインヴォーカルのジョニー・ロットンが脱退すれば、一般公募でヴォーカリストを募ってめちゃくちゃなオーディションを開き、結局はヴォーカルなど誰でもいいと言ってみたり、ギターのスティーブ・ジョーンズは女狂いと喧伝し、そのままの演出を施したり・・・(本人がポルノ男優のような演出を受けている)。圧巻はシド・ビシャス。彼の行動自体がマルコムの考えるピストルズそのもので、鼻血を噴出しながらベースを弾いたり、ベースを振り回しながら観客に飛び込んだり、自分の身体を刻んでぼろぼろのTシャツが赤く染まったり・・・。極めつけはハードなアレンジを施した「マイ・ウェイ」をがなりたて、最後は観客に向かって発砲する(演出)。そんなぶっとんだパフォーマンスはシドでなければできないだろう。そして彼の最期はオーバードラッグによる死亡である。
恋人のナンシーを殺し、自分もあの世行き。現実と虚構が彼の人生を狂わせた。それは、マルコム・マクラーレンがセックス・ピストルズを作っていなかったら、シドはドラッグに溺れることはなかったか・・・いや、形を変えて伝説になっているだろう。
セックス・ピストルズをバンドと思ってはいけない。
セックス・ピストルズはファッションである。
セックス・ピストルズは音楽業界への挑戦であり、ギャング集団である。
純粋に叫びたかったジョニー・ロットンは脱退後、名前を本名のジョン・ライドンとし、パブリック・イメージ・リミテッド(P・I・L)を結成する。もう、そこにはパンクという言葉よりニューウェーブという名前がフィットしていた。
マルコム・マクラーレンはピストルズのメンバーに逃げられあとは、自身がマネージメントをしていたアダム・ジ・アントのバンドからメインのアダムだけを抜いて(裏切って)、自分でバウ・ワウ・ワウを結成するところも滅茶苦茶な感覚。
ニューウェーブの波を作り上げ、ジャングルビートで一気に勝負出たところの嗅覚などは音楽家というよりクリエイターのノリなのだろう。
とにかく胡散臭い男である。
そんな楽しい「いかさま野郎」(賛辞)の作品が「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」(偉大なロックンロール詐欺!)である。
ま、めちゃくちゃよ。